そして三年後

Twitterでやれ

倉野智花の造形っつーか姿は絵そのものの出来を除いて考えれば1つの完成形とも思える素晴らしさを持ってると思うんだけどそれを具体的に説明する術を持たなかった
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  1. 2015/05/31(日) 19:56:35|
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くっそどうでもいい事



The 90's Arcade Racerのゲームプレイ動画が先日アップされました
老害セガ信者のでっていうが死ぬ程期待している作品です



いやなんでこんなテンション低いかっていうとね
ギアがさ、4速ギアじゃないじゃんこれさ、
でさ、なんかさ、サイドブレーキって書いてあるじゃん 初見で「は?」って声出ちゃってさ
いやそんだけ 他に言いたいことはない Kickstarterページにドリフトの表示消せって書いてる人居たけど俺は気にならなかった
ただギアとサイドブレーキだけがどうしても気になって気になってしょうがない
終わり いや実際死ぬ程期待してるのは間違いない
  1. 2015/05/17(日) 00:09:21|
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迫真自分語り部

メインPCぶっ壊れてゲーム出来ないし今日は自分語りでもしよう

本日のお題:何故でっていうはDota2をしているのか



時は5年以上前まで遡る
当時のでっていうは情報弱者だった

いや今の俺が情弱か情強かと聞かれれば間違いなく情弱だが、それでも当時は酷かった
1個例を挙げると使ってるブラウザがIEだった あの最悪の時代のIEだった
そしてIEの脆弱性と火狐について紹介されている記事を読んでも「めんどくさい」の一言で全て無視していた それぐらい情弱だった 未だに思い出す
他にはPCはメモリを増やせば無限大に性能がアップすると思ってた時期もあった 挙げるとキリがない



高校生の俺は、そんな哀れな自分を嫌い、情報強者という存在に物凄い憧れを抱いていた時期がある
(この傾向は今でも残っている)
当時サドンアタックとAoE3を身内で遊んでいたでっていうは、どうにかして情強という存在になろうと思っていたのである



そうしてでっていうは1つの答えにたどり着く、
情強と同じ事をすれば、自分も情強になれるのではないか
と考え始めたのである



全く哀れな発想であるが当時はこれを盲信していたでっていう 本当に見ていられない



そしてこの発想が全ての始まりとなったのである
でっていうが当時、勝手に情強と認定していた人々の1人にNegitakuの管理人のYossy氏がいます(今でも尊敬してます)
そのYossy氏のブログに投下されたある1つの記事がでっていうを闇へと引きずり込む事になった

『Heroes of Newerth』を購入 という記事 内容はYossy氏がHoNを購入した事、そのきっかけについて簡単に書かれている


当時のでっていうはこの記事を読んで感銘を受けた 今でもその時の気持ちを思い出す事が出来る
Yossyという情強は、こんな日本人が何人知っているか分からない超絶ドマイナーな洋ゲーを手放しで絶賛しているのかと
(実際はそこまで絶賛していなかった。当時の気持ちをそのまま書き連ねている)
これが情強かと、これがSAプレイヤーである俺との差かと、物凄い衝撃だった




そうと決まれば行動は早かった、俺は姉貴のクレカを借り、$29.99でHoNのアカウントを購入 こうして1人の日本人HoNプレイヤーが誕生した



だがしかし、当時の俺にとってHoNというゲームは苦行でしかなかった

初試合は開始10分で俺がkickされて終了
Feedする度に敵味方から飛んでくる罵詈雑言 罵倒されない試合は無かった
範囲スタンを2度外すと飛んでくるkickvote 泣く泣くConcede(降参)に賛成する辛い記憶
アイテムビルド、スキルビルドは全然分からない HoNのwikiに書いてあるビルドしか参考材料がない
周りは外人ばっかりで日本人はいない
レートは1500開始なのに1300を下回る
外人は試合開始前に身内で片方に固まってロックしてる(当時マッチメイキングが無かった)
Noob onlyと部屋に書いてありながらNoobは罵倒されまくる日々

地獄だった HoN自体の民度の低さも相まってあそこは本当の地獄だった その後にプレイしたLoLやDota2が天国に感じられる
当時のHoNこそが正真正銘の地獄だった 洋ゲーであれより下を見たことがない



そんな、500g溜まったら靴を買うことすら知らなかったでっていうが、何故そのような辛い目に遭いながらもHoNを止めずに続けていたのか
その理由はひとえに、情強になりたいという強い意思があったからである
情弱に逆戻りしたくない、俺もYossy氏やその他諸々のような情強になりたい、という確固たる意思が俺を引っ張り、地獄のような日々を耐えて試合をこなしてきた
1試合が終わればwikiを見て自分を殺したHeroのスキルを見て、食らったアイテムを見て、試合を勝利に導いた味方Heroをwikiで見て、そいつが持ってたアイテムを見て、それをひたすら繰り返して知識量を増やし、立ち回りを覚えていった


何百試合もこなすと最低限知識はついてくるようで、レートは1650まで持ち直し、Devourer(Dota2のPudge)を使い格下をしばき回すぐらいは出来るようになった 感動である



そんなある日、SAの頃の知り合いから「LoLっていうゲームやらへん?お前が今やってるHoNと似たゲームやで」と誘いを受ける事になる
当時のHoNにはアップデートバグが存在しており、辟易していた俺にとっては断る理由はなかった
(パッチが来る度にアンインストールとインストールを繰り返すのは本当に面倒だった wikiに書かれた手段を全て試してもダメだった)


こうして今度はLoLプレイヤーになった俺氏 今度は周りに知り合いがいっぱいで、色々教えてもらいながらだったのでトントン拍子で知識をつけていくことが出来た
といっても周りは強い面子ばっかりだったけど いや知り合いが至近距離でAsheのUlt外して俺がブチギレた事もあった
懐かしい記憶や

そして1年ぐらい後
無料チャンプのローテを見て、「誰がRankedで通用するかどうか」しか考えられなくなった頃、俺はValveからDota2の招待を受け取ることになる
ODの実装とほぼ同時期である この頃からアジア圏にキーのバラ巻きが始まり、加速度的にプレイヤーが増え始めた


当時の俺は「全ての始まりであるDotaの正当な続編がLoLを超えないはずがない」と思い込み、Dota2を本格的にプレイするように
(別にLoLに飽きていた訳ではないしLoLは今でも好き)
結果的に俺の予見は外れ、Dota系(MOBA)タイトルではLoLがシェア1位をキープし続けたが、人口1位のゲームを欲している訳ではないので別にそれは良かった 若干悔しくはあったけど



そもそもがHoN出身という事もあり、Dota2も初めからある程度戦うことは出来た
多分だけど最初にLoLをプレイしてたらDota2に移ることはなかったと思う HoNをやってたからこそDota2にすんなりと馴染むことが出来た



そうしてpubでぼっちプレイを続ける内にTwitterで知り合った人(あきみさん)をきっかけに日本人の知り合いが増えていき、今は亡きZikuu紅白にも参加するようになり、名目上はレート4000にも到達し、PCがぶっ壊れ、今に至ります





最後の方何を書きたいか分からなくなった
書きたかったのは、俺がHoNを始めたきっかけについてが1つ、
もう1つは、誰かにDotaについて教わった経験がほぼ皆無なので、リアフレ勢にどうやってDota2を教えれば良いのか分からないって事も書きたかった
でも後者は書く余力が無かった 終わり!閉廷!!
  1. 2015/05/13(水) 21:06:49|
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